わたしたち人間は十月十日の間、母親の子宮の中で魚類に酷似した風貌からヒトへと、劇的に姿を変えていくそうです。それは太古の海で誕生した生命が、三十八億年かけて進化した過程を再現するものだと言われています。
奇跡的に誕生し、幾つもの困難を乗り越えてきた生命の歴史が、わたしたちの細胞に潜在記憶として刻み込まれている。
わたしたちの存在は、連綿と受け継がれてきたひとつながりの『いのち』なのだとしたら、生きることの意味を誰もが与えられているように思えてなりません。
すべての人に人生の意味があるのだと、わたしは思うのです。
生きることへの希望よりも不安が少しだけ上回っていた10代のころ、「なぜ生まれてきたのか」「人生の意味は何なのか」。わたしはそんな自問を内に秘めながら、目の前の小事に振り回されていたように思います。
当時を改めて振り返ったとき、かつてのこの問は「自分の使命は何なのか」という人生の命題であったことに気付きました。
その後、保育士としての経験、子育て、離婚や転職、そして起業、多くの挫折や成功体験も経て、人生においての『本当に大切なもの』が少しだけわかったように思います。大切なものがわかるにつれ、判断の基準や人生の軸は自分の中心へと向かっていきました。
そして今、まだまだ駆け出しではありますが、瞑-Tsumuriをオープンし、お客さまと様々な関わりやご縁をいただく中で、ありがたいことに、わたしは自分のすべきこと、与えられた役割を自分なりに信じ始めています。
不安になることや自信を失いそうになることは今でもあります。頭の中をめぐる弱音と闘う日は孤独です。それでもわたしは、この道を信じていきたいのです。
わたしたちの人生は、いつ途絶えてしまうのか誰にもわかりません。明日なのかもしれない。だから、生きるということはそれだけで既に命がけです。
うかうかと過ごすわけにはいかない。
ならばわたしは使命に生きたい。
使命とは文字通り、命を使うこと。
命を削るほどに真正面から向き合うこと。
授かった小さな能力を最大限に活かし、わたしは使命に生きたい。