こんにちは、川口菜生です。
人生の出来事って、あとから振り返ると、全部つながっていたように感じることがある。
これは証明できる話ではない。
でも、私の中ではこう解釈したら全て意味がつながった出来事。
頭の中のまとめを兼ねて書きますね。
理由のない涙と、「魔女狩りの石」との出逢い
2年前のある日、某お寺で大護摩祈祷とクリスタルボウルの瞑想会に参加した。
その場で宝石をフィッティングしてもらう機会があり、いくつか石を持たせてもらった。
正直、最初は何も感じなかった。
「私、こういう感覚鈍いのかな」
そう思っていたとき、一つの石を胸の近くに持ってみてと言われた。
その瞬間、理由もない涙が溢れた。
悲しいわけでもない。
ただ胸がざわざわして、涙が出てくる。
初めての体感に戸惑った。
その石は「魔女狩りの石」と呼ばれる宝石だったらしい。
魔女狩りの前世を持つ人にしか反応しない高貴な宝石で、とても希少価値が高いのだとか。
前世の話が本当かどうかはわからない。あるんじゃなかなーとは思う。スピリチュアルなことは、私は一理あると思うので信じるけど、感覚的にはわからない。わからないものは否定しない。
でも、その体験は説明のつかない体感覚。そして、私の中でひとつの意味を持つ出来事になった。
突然舞い降りた言葉『女王学』
それから数日後。関係はあるかないかは置いといて、突然、ある朝言葉が浮かんだ。
『女王学』
その瞬間、魂が震えるような感覚があった。
「なんだろう、女王学って。」
ググったけどあまりヒットしない。衝動的に調べたら「帝王学」に繋がった。
「いや、違う。女王学だよ。ないの?帝王学があるのに女王学ないの?なら私が作らなきゃ」
理由はわからないけれど、そう思った。
それから目まぐるしく、自分に様々な気付きを得るための出来事が起こった。そのたびに向き合い、掘り下げ、気付いていく。そうして『女王学』がどんどん形になっていったのだ。
私が定義する「女王」の姿
女王って、支配する存在じゃない。
私が思う女王は、何より自分を大切にし、自らが輝くことで周りを照らし導く、凛と美しく優しい愛に溢れる女性。
そして女王の証は、その人がその人であること。その自由。だと定義している。
私たちはいつの間にか人のジャッジに振り回され、自分を犠牲にして、疲れて、人を批判するようになってしまう。でもそれって誰もが本来の姿じゃない。
必要なのは、自分への愛。
自分を大切にできる人は、人を攻撃する必要がなくなる。そうしたら、愛が循環する。
女王学のゴールは、誰かを変えることじゃないんだ。人を救ってあげようとしてるわけじゃない。おこがましいもの。
ただ、自分を生きる人が増えること。
自分を大切にする人が増えれば、自然と優しさが生まれ、人が人を助け合う世界になる。
すべての苦難は、この思想を説くためにあった
もし私の魂が何度も転生しているとしたら。
以前聞いたことがあるのは、巫女だった人生。魔女狩りで終わった人生。愛する人と結ばれなかった人生。孤独の中で売春婦として生きた人生。
わからなくもないの。すべてしっくりくる。
いろんな経験を通して「人間」を学んできたのかもしれない。だから私は人間が好きだし、人の人生が好きだし、人の可能性を信じている。
そして今世は、魂を楽しみ切る人生なのかもしれない。
自分を発揮して、自分を愛して、自分の人生を生きる。その姿が、誰かの光になっていく。それが『女王学』。
それに必要なピースを集めるために、この時代を選び、この両親を選び、この肉体を選び、出逢いを選び、説くために必要な数々の苦難の経験をし、喜びや愛を知り、気付くべく半生を歩んだ。
そう考えたら、気持ちいいくらいにひとつの線に繋がるんだ。
真実なんてわからない。でも、私はこの解釈を選ぶことにする。
ここから、すべてが始まる
もしいつか世界で『女王学』を講演する日が来たら、私は最初にこう言うと思う。
「ありがとう。愛しています。」
だってそこにいる人たちは、この思想を受け取ろうとしてくれる人たちだから。
女王学は、女性のための思想かもしれない。
でもきっといつか、人間の在り方の哲学になる。そう信じている。
そしてその始まりは、自分への愛。
ここから、すべてが始まる。
コメント