わたしたちは生かされている
生かされている、と感じたことはありますか?
わたしは数年前、朝の4時半から自宅の屋根によじ登り朝日が昇るのを待ったことがあります。何を思ってその行動に踏み切ったのかは忘れてしまったけど、寒さに凍え鼻水を垂らしながらじっと待ち続け、その暁を目の前にして湧き上がってきた感情は、生かされていることへの感動でした。
「わたしたちは生かされている」
遠く東の山あいが赤らみ、空気が震え揺れている。
朱色は見る見る広がって、ひと時も目が離せなくなって、最初の光が瞳にかかり目をつむったとき、わたしは既に泣いていました。
「ああ、生かされているのか」
なぜそう感じたか、うまく説明はできないけれど、そう確信せずにはいられない経験だったように思います。
わたしたちは奇跡の存在
考えてみれば、わたしたちはいつも、奇跡のようなバランスの均衡に救われているのですね。
聞いた話ですが、この地球上に細胞が一つ偶然に誕生する確率は、1億円の宝くじを100万回連続で当選させるくらいとんでもない確率なんだそうです。
そうなると、わたしたちの存在は、偶然の産物と考えるより、大いなる計らいによって生み出されたと考える方が、より自然に思えてきます。そしてその大いなる意思は、いつも調和とバランスを望んでいるように感じます。
調和とバランスと壮大な夢
少し話のスケールが大きくなりましたが、わたしたちの心と身体も調和とバランスを望み、わたしたちを取り巻く人と人の関係もまた、調和とバランスを強く望んでいます。これはこの世の中と、わたしたちと、自然の摂理なのかもしれません。
普段わたしたち一人ひとりは無力のように感じています。実際に無力なのかもしれません。くよくよしたくないのに落ち込んでしまったり、穏やかでいたいのにイライラしてしまう弱い存在。
そんな時わたしは、あの日の朝焼けに立ちかえります。生かされている自分に立ちかえり、力無きわたしにもできる些細なことをする。それはほんの些細なこと。
コンビニの店員さんに笑顔で感謝を伝える。すれ違ったおじいちゃんに笑顔で挨拶する。今日が晴れたことに、雨が降ったことに感謝して空を見上げる。
とても些細なこと。
それは、わたしが生かされていることへの恩返しであり、調和とバランスの答えのように思います。
そしてその先にいつか、同じ志を持った人たちと力を合わせることで、無力なわたしたちが大きな力となって、より思いやりのある世の中をつくっていく。本当は内緒ですが、これがわたしの密かで壮大な夢なんです(笑)。
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