わたしは23歳で流れに身を任せるように結婚しました。26歳から12年間、保育士を続けながら仕事と家事、育児に専心していました。当時、旦那様は出張で不在になることが多かったため、2人の子どもたちには淋しい思いをさせまいと、一心に愛情を注いでいたように思います。子どもたちと共に悩み葛藤しながら、母としても一緒に成長していく生活はとても楽しいもので、子育てはわたしの生き甲斐となっていました。
しかし、自分でも気付かないうちに、育児の裏側に隠し込んだ様々なストレスは次第に蓄積し、心身は悲鳴をあげていたのだと思います。
メンタルヘルスケアという言葉が今ほど一般的ではない時代、わたしは心と身体のバランスに目を向けないまま、動悸・情緒不安定・胃腸障害・慢性腰痛・原因不明の蕁麻疹などに翻弄されるようになります。同時期、無理なダイエットからの生理不順も重なり、自己肯定感は完全に喪失していたように思います。
自分の価値を信じられなくなるにつれ、自分を安く見積もる癖がついていきます。「わたしの人生など、こんな程度が相応しい」。なげやりな思考は夫婦仲の温度も冷ましていく一方でした。
そんな苦しい状態が5年ほど続いたのち、ある決心をします。
『子供たちに生きる姿勢を見せてから死ぬ』。
目の前のあらゆる出来事や結果を、全て自分の責任として受け入れよう。
誰のせいにもしない。その上でわたしの人生をわたしの手でつくる!
という強い思いから、離婚という一大決心をします。
35歳のときにシングルマザーとなり、大きな決断をした自分を少しだけ認めることができました。これを機に少しずつやりたかったことに挑戦しながら自己肯定感を取り戻していきます。たくさんあったコンプレックスとも一つずつ向き合いながら解消し、気付けばわたしは、挑戦することに楽しみを感じるほど、逞しい自分を手に入れていました。
その後、生計を立てるために保育士から介護施設の事務員へと転職します。更に、産後太り解消のために学んだダイエットの知識を活かし、パーソナルトレーナーの資格を取得します。パーソナルトレーナーとして副業を開始しお客様と向き合う中で、次第に自分の考えと実状の間に違和感を覚えるようになります。
「身体だけではなく“こころ”にも目を向け、全体のバランスを調和する」
私が求めるところの行きついた先には、ヨガの教えがありました。ヨガの前向きで受容的なマインドは、わたしの考えや思いの向かうべきところを具体的に示してくれているようで、学ぶほどにこころは穏やかになっていきました。
その後ヨガインストラクターの資格を取得し、パーソナルトレーナーからヨガインストラクターへと副業を転職します。ヨガの学びを深め、インストラクターとしてお客さまと向き合う中で、わたしは内省することの大切さに気付いていきました。心のありかた、幸せとは何か、他者との関わり方、呼吸の大切さ。静かに自分と向き合い考えを巡らせるうちに、“わたしだからできること”、“わたしにしかできないこと”がきっとあるはずだ、と思うようになりました。
「残りの人生、わたしを必要としてくれる人のために、わたしがわたしの価値を信じるために、やりがいと使命感を持って生きていく」そう心に決意します。
不思議なものです。その後、わたしの覚悟と呼応するように、人や学びのご縁がやってきて道を照らしてくれました。わたしの思いを理解し、応援してくれる人たちに背中を押してもらいながら2024年3月末に介護施設の社員を退職し、独立開業に動き出しました。
そして導かれるようにして、現店舗と出会い、改装を終え、わたしはヒーリングやカウンセリングを通して、人々がより幸せになれるお手伝いをするために、同年7月にプライベートマインドケアサロン【瞑-Tsumuri】をオープンします。
この過程で出会い、学びやアドバイスをいただいた方々や励ましや応援の声をいただいた方々がたくさんいらっしゃいます。起業のことなど何も分からないわたしが、ここまで辿り着けたのは、みなさんの温かいご協力があってこそです。心から感謝申し上げます。
そして、わたくし事で恐縮ですが、こんな無謀とも思える挑戦を受け入れ、助け合いながら応援してくれる2人の子どもたち。本当にありがとう!
最後に、辛く苦しい時期の記述は、あまり深刻にならないよう意識して書きました。ですが、心身の不調や自分への嫌悪によって毎日を明るく生きられない気持ちはわたしも経験しています。悩みの大きさは他人が決めることではありません。小さいと思われそうなお悩み、ぜひ一度相談にいらしてください。お客様のお悩みを受け止め、一緒に改善していく糸口になることで、わたしの過去は全て、わたしの財産となっていきます。
この思いが広く伝わり、みなさまのお役に立てることを心から願っています。